4年。
東日本大震災から私たちが過ごしてきた時間。
震災で損傷した建物は修復され、或いは解体され、今の街並みにあの震災の痕跡を探すことは難しくなりました。
解体され、更地になった土地を横目に忙しく車を走らせる日々。
4年という歳月は、震災の記憶を薄め始めるには十分な時間。
あのときの強い揺れ、黒い津波、見えない放射能。
進む復興の中で普段の生活に戻った私たちは、あのとき感じた恐怖や苦しみ、人の痛みを忘れそうになるから、
もう一度思い出します。
あのとき、何があったのかを。
2011年3月11日 14時46分
聞きなれない不吉な音と共に 突然送られてきたメール
東日本大震災の本震が発生。
あのメール着信音、
今でも聞くとゾッとします。
郡山市内でも建物は損傷、傾く信号機、割れる窓ガラス
大きな看板も傾き、墓石は倒れ
その後、すべてをのみ込む津波が沿岸部を襲いました。
いわき市アクアマリン周辺。
津波に襲われた南相馬市。
いわき市永崎海岸周辺
そして始まった福島第一原子力発電所の原子力災害。
全電源喪失後、炉心融解、水蒸気爆発を起こし、放射性物質は日本全国、世界中に拡散しました。
あれから4年。
沿岸部の復興はまだまだ進まない。
津波で家を、家族を失った人がいる。
原子力災害に見舞われた地域では人すら住めない。
ふるさとを追われ、今でも仮説住宅で不自由な暮らしをしている人たちがいる。
その中で孤独な死を遂げる高齢者がいる。
放射能という見えない恐怖にさらされている子供達がいる。
この現実を直視しなくてはなりません。
少しずつ震災の記憶は薄れていってしまうから、
私たちは忘れない。忘れてはいけない。
東日本大震災によりお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申しあげます。
本日、発生時刻の午後2時46分に合わせ、黙とうしましょう
アウディ郡山
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